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御由緒


 明治時代の末、相内の礎を築きあげたのは、第四大隊第三中隊に属する屯田兵でした。

 彼らは山林を切り開いて畑をつくり、あるいは訓練を行いました。その一方で、小さなほこらをこしらえて朝夕拝み、お祭りの日には盛大に祝っていたのです。

 時は流れ、大正十一年。

 野付牛町(現・北見市)より分かれて相内村が成立しました。

 このときにはすでに、屯田兵はその役目を終えていましたが、相内に残り、その発展に力を尽くす者も多かったのです。崇敬心の厚い彼らが、村全体の神社の建立をめざすべく声を上げたのは当然だったでしょう。

 こうした声を受けて、まずは新造されてまもない村役場の敷地内西側に、御神名を記した木標が建立されました。これが相内神社のはじまりでした。

 しかしながら諸般の事情により、神社としての名実がともなうまでには、なかなか至りませんでした。

 昭和七年、相内小学校の御真影奉安殿が新造された際には、もとの奉安殿を御社殿として流用、現市街地の北方中央におまつりしました。

 さらに昭和二十七年には現在地に御遷座、一村の鎮守神にふさわしいものとすべく境内を整備しました。

 昭和三十一年、相内村は合併して北見市に属することになりましたが、それ以降も変わらず、相内一円の守り神として、ひとびとの心のよりどころとなっています。